企業経営者と社員研修責任者の皆様へ

望月義博が、カーショップ、カーディーラーの皆様に
本当にお役に立てる研修について考え発信しています。

第40回 私塾への憧れ

私の実家は静岡県富士市の山間部にあります。曽祖父の時に火事に見舞われ、山梨県南巨摩郡南部(奥州南部氏発祥の地)の本陣であった近藤家の家屋を買い取り解体、その建材を富士川に流し、下流で拾い集め山越えをして現在の場所に移築したものです。

実家には今でも微かに「西條サ将休」とか、「正二位徳川茂承候宿」と読める数枚の関札(大名や旗本などの宿泊者名を記入してある看板)が残っています。

実家に今も残っている関札です

この近藤家には地元に今も顕彰碑が残る「近藤喜則」という人がいました。明治の初め農業、医療、教育の振興に非常に力を入れた人です。三椏の栽培に取り組み、紙すきを奨励しました。病院も立てました。

そして、これからは人材の育成が一番重要であると考え、この家屋を使用して私塾「蒙軒学舎」を創立したのです。

教育の自由と機会均等を目指し、貧しくとも本当に学ぼうとする意欲を持った若い人々を受け入れ、志を立て自らの道を切り開いてゆく事を目的としていました。

「蒙軒学舎」では講師を集め漢学、英学、数学などを教えました。英学の講師として山梨県では初めての外国人教師、宣教師のC・B・イビー氏を招聘しました。

塾生は山梨県だけではなく、静岡県や神奈川県からも集まったそうです。その後、近藤喜則氏の後継ぎであるお子さんが亡くなり、同志社の様に大学という構想も持てず、「蒙軒学舎」は閉校となりました。

実は私はこの家の事に全く無関心で、最近まで「近藤喜則氏」「蒙軒学舎」の事を知りませんでした。

昨年、この近藤家があった場所、山梨県南巨摩郡南部町を訪ね、私が生まれた家が元あった場所に行ってみました。富士川に沿った甲州街道にある屋敷跡に立ってあの家がここに有ったのだと想像すると感慨無量でした。

それから私は、私塾に憧れを持つようになりました。

私の憧れの私塾は、昼は完全無農薬、無化学肥料による野菜作りをし、食品添加物、残留農薬、遺伝子組み換え食品等の優しい講習をします。

夜は、人として生きてゆく中で、考えなければならないのに、考えることを避けていた事、考えても答えの出ない事を真剣に考え、優しい言葉、日常使用する言葉で語り合い、そして、また考える、学びの私塾です。

私は宿泊を伴う社員研修の講師をする時に、最初にするスピーチは内容を決めていました。

「私は望月義博といいます。学生時代は柔道をやっていました。
 でも私は柔道が非常に弱く、いつも負けていました。
 「組んだらすぐに技をかけろ」と先生に言われていましたが、
 組み手争いをし、自分の組手が取れると安心し、そこで一呼吸置いていました。
 その時、その時に相手から技をかけられ投げられていたのです。

 当時、憧れていた先輩がいました。
 その先輩から、「望月、道場だけが柔道の練習をする所ではない。
 自分の今いる場所、すべてが道場なのだ」と言われました。
 だから私にとって、今この場所、ここは武道館です。

 今日お集まり頂いた皆さんも、ここを道場だと思ってください。
 一緒に学びましょう。」

こんな挨拶で始まる私塾、「新・蒙軒学舎」の開校を夢見ています。

2015年7月24日



 


 ■当事務所及び研修に関するお問い合わせ先

  090-8943-6751
   または


 

PAGE TOP